長谷川和夫さん、猪熊律子さんの『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』を読みました。
長谷川さん、猪熊さんの本は初めてです。
認知症のスクリーニング検査である『長谷川式スケール』を開発し、それまでは『痴呆症』と呼ばれていた病名を『認知症』に改めるのにも尽力された長谷川先生の著書です。
知らずに読んでいたので、たしかに著者のお名前が『長谷川』さんだと知り、驚きました。
以前読んだ川島隆太先生の『脳を鍛える! 人生は65歳からが面白い』に、「『脳トレの教授が認知症になった』と SNS で嘲笑されないように、いろいろやっていく」と書かれていました。
長谷川先生自身は認知症になったことを公表されていて、それを周りのみなさんも受け入れていたようです。
本書にも書かれていましたが、人間が80歳を超えて生きて行くのが珍しくない世の中になったわけで、そもそもその事自体がすごいんですよね。
『徒然草』には「長くとも四十に足らぬ程にて死なんこそめやすかるべけれ」(長くても40歳に満たないうちに死ぬのが、人生として最も見苦しくなくて良いだろう)なんて書いてあったような時代から考えると『2倍以上』に増えているのに、人間の体の構造自体はその頃からほとんど変わっていないはずなんですもんねー。
『耐用年数』が過ぎちゃっているわけです。
私なんかも、もうすでに。
以前『自閉症の僕が跳びはねる理由』という、自閉症当事者の方が書いた本を読んだことがありました。
今回も改めて思いましたが、そういう『当事者』の方が書いた本というのは、本当に貴重ですね。
今回長谷川先生が仰っていましたが、「認知症というのは日内で症状が結構変動するものだ」ということです。
それはまったく知らない事実でした。
もちろん、日によって「今日はまだらボケが多い日」などがあるというのは聞いたことがありましたが、「本当にそうなんだ」と。
しかもそれを、認知症の本人が認識できる、というのはまったく知りませんでした。
そういうことも、この長谷川先生でないと書けない本だったんだろうなな、と思いました。
先日読んだ久坂部先生の『人はどう老いるのか』にも、「老いて認知症になることは「仕方ない」こととしてある程度受け入れていかなければいけない」と書かれていましたが、本当にそういうことなんでしょうね。
そして、『認知症』になったからといって、それが必ずしも『不幸』というわけではない、ということ。
それから、「認知症になったからといって、その人のそれまでの人生がその瞬間で分断されるわけではなく、その人の人生はずっとずっとつながっている」いうこと。
それらは、改めてちゃんと理解しなければいけないことだな、と感じました。
老人ホームなんかが舞台になる物語や映画で、介護をしている人が対象の老人を赤ん坊や幼児のように扱うシーンがよく出てきますが、昔から「その接し方で本当にいいの?」と思っていました。
私自身は介護はやったことがないので、門外漢だから口出しはしたことはないですが、「自分がその立場だったらそんな風に子どもみたいに扱ってほしくないな」と思っていたんですよね。
今回この本を読んで、長谷川先生も「そういう扱い方はしないでほしい」と書いてあったので、同じように感じている人がいて少し安心しました。
もちろん人それぞれだとは思いますが、「そう思っていいんだ」とわかってよかったです。
本書に出てきた「認知症の人の言葉をよく聴いてほしい。聴くというのは待つということ。待つということは、その人に時間を差し上げること」という言葉、これはすごいなと思いました。
我々は、日々忙しく暮らしていて、どうしても相手を急かしてしまうことが多くなってしまいます。
対象が子どもだったりご老人だったりすると、言う事が素直に通らなかったりする分、余計にそう感じてストレスになってしまうことが多いかもしれないですね。
そこを、待つ。
これは金言だなと思いました。
それにはやっぱり、自分の心の余裕も必要だな、と思います。
残念ながら、長谷川先生は2021年にお亡くなりになられたようです。
本書から、厳しくもステキな方だったんだろうな、と想像しました。
いろんな大事なものを残してくださったんだと思います。
ずいぶん遅くなってしまいましたが、ご冥福をお祈りいいたします。




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