クライマーズ・ハイ

読んだ本

横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』を読みました。
横山さんの小説は『震度0』以来です。

この小説は夕食の時に、Kindle の読み上げで音声を流しながら聞いていました。
息子にはやっぱり本を読んで欲しかったのと、夏休みに『読書感想文』ではないんですが、読んだ本の紹介をパワポで作るという課題が出されていたので、その題材用にです。
一緒の食事をしている娘からは「難しくてわからない」とちょっと不評だったんですが、こういうことでもしないと本当に本は読まないので仕方ありません。
まぁ、夏休み前からコツコツ読んで、土日は除いて半月ぐらいかかったような気がします。
息子に先に Kindle を読んでもらっていたんですが、全然進まなかったのでそのスタイルに変更しようと思って、私も最初の1/3程度は急いで Kindle で読んだという感じです。
かなり時間かかってしまいましたが、まー読んで良かったですね。

この『クライマーズ・ハイ』は、20年くらい前に一番読んだ記憶があります。
でも、あまり細かくは覚えていなくて、「途中でなんか精神的にだめになっちゃった子がいたなー…」ってことだけ覚えていました。
あと、最後に息子と一緒に山に登ったような気がしていたんですけど…、それは燐太郎くんだったんですね…。
淳くんがいつ追いかけてくるかな、なんて期待していたんですけど、ちょっと残念でした。
しかし、最後にまさか…結婚の承諾を得ようとして、そして何とはぐらかされるとは!
この流れは、なんか涙しながらも笑ってしまいました。
燐太郎くん、これで義理とはいえ、本当に悠木さんの息子になるんですね。

しかしまー、『地方』の『地元密着型』の会社だと、まーこんな感じなんだろうなー…という、ちょっとげんなりする感じでした。
社長以下役員、クソしかいない…。
一緒に読んでいた(聞いていた)息子も、「社長がキモい」とずっと言っていました。
まさにその通りだとですね。
何と言うか、同じ大人として情けなかったです。
社内のゴタゴタ、かつて遭った大きな事件の『栄光』にしがみつく人たち、それで潰されかける若い芽たち。
いやー、嫌ですねー。
それに、働き方的に『まさにブラック』という感じ。
時代的なものもあるとは思いますし、本人たちも納得しているんでしょうから、こちらとしては何も言いようはないんですけど…。
私はこんなブラックな企業は嫌だー。
新聞社のスケジュール感って、今もこんな感じなのんでしょうか?

安西さんや伊東(呼び捨て)が所属していた販売部は、主に新聞販売店の接待を担当している部署です。
自分が就職活動をしていた時に、某テレビ局の見学に行ったことがあったんですけど、テレビ局内にも同じような部署があるというのを説明で聞きました。
その時は「自分にスキルがまったくたまらなそうな仕事は嫌だ」と思った覚えがあります。
この小説は社会人になってから読んだものだったので、その時のことを思い出してなんだかちょっと暗い気持ちになった記憶があります。
新聞社にも、そういうところがあるのかー、と。

結局、安西さんはいつぐらいに亡くなってしまったんでしょうか。
はっきりとした時期的な記述はなかったように思います。
安西さんが倒れた直後、奥さんが「生き生きとしていた」という描写が、なんだかすごく辛かったですね…。
病気にでもならないと、こうやって一緒にいられなかったんだな…と。
うちの父も、私が小学生の時に職場で倒れて、救急車で運ばれたことがありました。
お見舞いに行ったら元気そうだったので、私は安心したんですが、母が泣きながら父と話していたのを今でも覚えています。
その頃、父は本当に忙しく、全然家に帰ってきませんでした。
母と一緒に最寄りの駅まで父の着替えを持って行き、電車から降りて改札を出ないで待っている父と、着替えの荷物の交換をする、ということを何回か経験したことがあります。
今思えばどんだけ忙しかったんだという感じですが、現在のようにデジタル化されていない時代だったので、経理担当だった父は本当に本当に忙しかったようです。
入院した時も、この小説の安西さんと同じような状況だった、ということなんでしょうね…。

悠木さんも結局、例の『お便り』などが原因で左遷させられることになってしまいました。
この辺りのことは覚えていなかったので、びっくりしました。
でも、結局ずっと草津にいて、奥さんもそこを気に入って、という流れは、悠木さんにとっては良かったんですかね。
ちょうど今の私と同じぐらいの年だったんですねー。
それで地方に左遷となると、まぁきつかったでしょうね。
家も結局手放してしまったみたいですし、記者で潰しが効かないと就職活動もできなさそうですし。
昔の方が、今よりもずっと再就職は大変だったでしょうね。
いやー、きつい決断だっただろうなと、思いました。

安西さんの「降りるために登る」に対するアンサーが、「降りなくてもいい」というのは、それを自ら最後まで貫いたからこそ本当に厚みが出た言葉ですね。
亡くなった望月さんの妹の彩子さん、最後は新聞記者になって北関に入社したとのことですが、彼女みたいな考え方をしてしまう人がで新聞記者になってしまうとつらいのでは、と思ってしまいます。
息子とも話したんですが、仮に私が持病の発作なんかで死んでしまったとして、新聞にちょこっとだけ載るかもしれないよね、と。
でも、それが何日も何日も続くわけじゃ、もちろんないです。
同時期に、有名な人が病気になったりお亡くなりになったりとかしたら、その人の方が新聞に乗るっていうのはなんとなくわかるよね、と。
でもまあ北関発の女性県警キャップになったとのことだったので、その辺はちゃんと折り合いもうつけられたみたいでよかったなと思いました。

かなり早い段階で事故現場に着いた神沢くんがやっぱり心配だったんですが、結果的にはいい記者さんになれたみたいですね。
警察官でも、交番勤務のときに自殺体などを見てトラウマになってやめてしまう人がいるというのを聞いたことがあったので、本当に良かったです。
息子はいまいちわかっていなかったようですが、戦場のようにひどい現場をいきなり見せつけられてしまったら、精神的にかなり参ってしまいますよね。
私だってそんな光景は見たことないですし、子供たちに見せたいとも思わないです。
なので、これを想像するのはまぁ難しいですよね。

しかし、群馬に寄るはずのなかった飛行機が群馬の山に落ちたというのは、『もらい事故』と何回も書かれていましたけど…まぁそうですね…。
県民がほんの少ししか乗っていなかったというのもありましたし、最初の段階でまったく乗り気じゃなかったという現場観も、仕方ないんですかね。
遺族の人にとっては憤りを覚えるような感覚かもしれませんが、そんなもんなのかもしれないなとは思いました。
途中で新聞社に遺族の人が来て「新聞をください」と言うシーンがあり、そこで『地元紙の役割』に気づけたというのが、ターニングポイントの1つだったように思いました。

今年で日航ジャンボ機墜落事故から40年という節目の年でした。
息子はなぜかよくわからないのですが、飛行機の事故の本や YouTube などを見るのが好きみたいで、それもあってこの本を勧めたという経緯がありました。
まぁ、全部読むことができて良かったんだと思います。
もう40年なんですね…。
当時幼稚園児だった私は、テレビの影響もあり、スチュワーデスなりたいと思っていました。
この事故で、飛行機は墜落することがあり得るんだということを知り、ものすごく怖くなってスチュワーデスの夢を諦めた記憶があります。
まぁ、その後の自分の人生を考えてみても、スチュワーデスはまったく向いていないんですが、ある意味私の人生にとっても最初のインパクトだったような気がします。
改めて、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

さちこ

40代2児の母。2011年からフリーランスやってます。東京の東の方在住。
第一子が発達グレー男児で、彼が将来彼の妹に迷惑かけずに生きていけるよう、日々奮闘中です。

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