原田マハさんの『まぐだら屋のマリア』を読みました。
原田さんの小説は『美しき愚かものたちのタブロー』以来です。
原田さんといえば美術に関する小説、という感じですし、表紙もそれっぽい絵だったので、今回も美術に関する小説なんだと思っていました。
私はキリスト教にはまったく詳しくないし、聖書も旅行先のホテルとかで引き出しに入っているものしか見たことないレベルの人間ですが、『マグダラのマリア』という人の話は少しだけ知っています。本当に少しだけですが。
ですが、今回の小説は『美術』とはあまり関係ないものでした。ただ、だからといっておもしろくないわけはまったくなく。
いやー、本当に、本当に毎回原田さんには泣かされますねぇ。
神楽坂の老舗の料亭で働いていた紫紋は、その料亭が行っていた偽装事件に巻き込まれ、すべてを捨てて逃げ出しました。死に場所を求めてさまよい、偶然たどり着いた『尽果(つきはて)』という名のバス停で降り、そこにあった小屋に最後の晩餐を求めて入りました。そこには『マリア』という愛称で呼ばれる女性・有馬りあがいて、見ず知らずの紫紋に食事を振る舞い、宿のない彼を自分の部屋に泊めてくれました。マリアの食事から生きる活力をもらった紫紋は、料亭で磨いた腕でその食堂『まぐだら屋』を手伝って生きていきたいとマリアに頼みます。
マリアは「自分の一存では決められない」と言い、紫紋をまぐだら屋の女将に会わせます。直接話をし、食事を食べてもらって許しを得たものの、その条件が「有馬に決して惚れんこと」でした。
故郷の母からも、神楽坂時代の知り合いからも、様々なニュースや情報からも遮断された尽果での生活は、少しずつ紫紋の心を癒やしていきます。しかし紫紋は、まぐだら屋の女将のマリアに対するきつい態度から、二人の過去が気になりだします。そして、少しずつ確実にマリアに惹かれていることも自覚していきます。
『紫紋』ってすごい名前だな、と思っていたら、イエスキリストの十二使徒にそのような名前の方がいらっしゃるそうで。それどころか、湯田(ユダ)、与羽(ヨハネ)、丸弧(マルコ)、桐江(キリエ)、まぐだら屋のある場所の地名『地塩』などもすべてキリスト教関連の名前だとか。いやー、ふわっとしか知らないので。
ユダやヨハネまで来ると「さすがにわかるわ」と思いましたが、シモンは初見では『悪魔城ドラキュラ』のテーマソングが流れました。
マリアが女将から嫌われている理由は、「自分の夫とか息子とかと不貞行為かなんかしたとか、そういう感じ?」とぼんやり思っていましたが、さらにその上を行く事実…。しかも、目の前で…。確かにこれだけ嫌われていても仕方ないかもしれないですね。けど、女将とマリアの間にも少しずつ愛というか絆というか、そういうものがめばえていくのがすごいなと思います。みんなさみしくて、みんな傷ついて、みんな許されたくて、そういう人ばっかり尽果にいるんですね…。
つか、悪いのは与羽サンでしょうが、完全に。年齢的にも職業的にも。相手は子供なんだから。
物語の冒頭、紫紋が神楽坂を去る原因になった事件ですが。多分読んだ方はみんな考えたと思いますが、同じような事件が過去に本当に起きていました。というか、改めて Wikipedia でその事件の概要を見たら、まんまこの話だったので驚きました。本当にこんなことをしていたんですね。きっと紫紋くんのように心を痛めながらやっていた人たちがたくさんいたんでしょうね。そう思いたい。悠太くんみたいに悲しいことになってしまった子はいなかったと思いたい。そう思いたい。
途中で丸弧が出てきたのも良かったなぁ。紫紋くんが、自分よりも儚い存在を少しずつ大事に思うようになっていく過程になんだか私が癒やされました。はじめは「変なやつ出てきた」と思ったものですが、一緒に暮らしていくにつれだんだん打ち解けるようになる様が、紫紋くんの回復度合いというか成長を表しているようでぐっと来ます。
…というか、紫紋くんは優しすぎましたね。神楽坂のお店でも、優しすぎていいように使われてしまって。都会で働くんだから、もうちょっとずるい子にならなきゃいけなかったんでしょうか。でも、そのままでいてほしいという気持ちもあります。
最後どうなるのかな、と思いながら読んでいましたけど、なるほどここで終わりかー、と。このあとどうなったかがいろいろ想像できる終わり方で、良かったような気がします。このまま、というのでもよし、戻る、というのでもよし。どっちがいいかなー。どちらだったとしても、みんな幸せになってほしいと思いました。
最後、バスで『前回』の料金の差額は支払わなかったのかな。そこだけはちょっと気になりましたが、降車したときに支払ったと思っておきます(笑)。
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