横山秀夫さんの『64 下』を読みました。
先日の『64 上』の続きです。
すごい話でした…。
今までの流れを全部きれいに練り上げて、最後まで流し出したという感じでした。
圧巻です。
三上さんはようやく娘さんのことを消化できたというか、「生きてさえいてくれればそれでいい」という境地に持っていけたのは良かったなと思いました。
自分ではどうにも制御できないことで悩むのは、本当に辛いことだと思うので。
奥さんと一緒に「娘はきっといつか帰ってくるだろう」と思って、これからも待ち続けるんでしょうね。
でも、暗く思い詰めた感じではなく、少しだけど明るいところで。
映画で内容は知っていたはずなんですが、残りもだいぶ少なくなってから「あれ? 誘拐事件って起こらなかったんだっけ?」って思っていました。
一報がもたらされたとき、「来たー!」って感じでしたね…。
ギリギリになって現れてきた目先という人物。
彼を突き止めるために、長い長い間、ひたすら無言電話をかけ続けた雨宮さん。
それを思うだけで、本当に泣けてきます。
奥さんも亡くなり、一緒に娘を悼んでくれる人がいなくなったけど、それでもやめませんでした。
執念、強い強い思いがようやく実を結びました。
…でも、それをどうしたらいいかがわからなくて、幸田さんと一緒に一生懸命知恵を絞って、今回の誘拐騒動になりました。
もちろんやったことは本当にダメなことだし、そのせいで本当に本当にたくさんの人が振り回されて大変な思いをしました。
けれど、部長が「ロクヨンのホシをあげるのが先決だ」と言い切ったところで、今までのロクヨン事件に対が成仏したのを感じました。
事件が終わった時点では、目先は犯行を認めていないし、幸田さんも雨宮さんもまだ逮捕されていません。
目先が自白すれば、今度はその2人に捜査の手が及ぶんだと思いますが…きっと逃げないんでしょうね。
D 県のたくさんの警察官が成し得なかったことを、たった一人の男性が何年もかけてやり遂げたというのが、本当にすごいですね。
雨宮さんが自宅の電話で、近くの電話ボックスで、ひたすらひたすら電話をかけ続けてリストを消していく姿を想像すると、本当に涙が出ます。
一つの事件が発生して、こんなにもたくさんの警察が報道関係者が動いて、その中でいろんな人の人生が変わったり壊されたりしました。
やっぱり犯罪は良くない、改めて思いました。
今回のことは、ロクヨンの時点で食い止められなかったのが、残念でなりませんでした。
必要のない人たちを犯罪者にしてしまいました。
警察の広報という部署の立ち位置がこんなに大変なものだというのは、全然知らなかったことでした。
刑事たちからは煙たがられて、記者からは吊るし上げられて。
本当に本当に大変な仕事ですね…。
まぁ、いつも大体そうですけど、キャリアの人たちは悪く書かれるなー。
まぁ「細かい事件ではなく大局を見てるから」と言われればそうなのかもしれませんが。
でも、その『大局』の中には、一人一人の小さな個人が集まっているんだよなー…。
お恥ずかしながら、『映画と原作の違い』がよくわからなくて、ちょっと調べてみました。
映画だと、最後に三上さんが暴走して制裁を加えようとして、結局辞職してしまうそうです。
なるほど…それはちょっとね…。
この違いのため、映画は一部の方からは評判が悪いとのこと。
まー、原作の大幅な改変は、ファンからするとものすごく引きずりますからね…。
↑これは映画と原作違いすぎますけどね、いまだに恨んでいますけどね。
多分、私は雨宮さんの事件に対する執念を思って泣いていて、最後はあんまり見てなかったんだと思います…。
あはは。
映画館でボロボロに泣いた記憶がありますので。
まぁ、物語をどの視点で切るかってことなんでしょうね。
私はやっぱり『誘拐事件』が大きなキーだと思っていて、それがどういう事件だったのか、誰が犯人だったのか、今回の模倣犯的な事件はなぜ起きたのか、なんていうのを見ていた感じがします。
だから、三上さんが辞職したこと、忘れてたんでしょうね…。
これを『三上さんの物語』として見れば、ロクヨンも次の誘拐事件も長官の訪問も広報の仕事の忙しさも、どれも気を配れるくらいの比重になって捉えられるんでしょうけど…。
まぁ、どうやって捉えるかは人それぞれってことで。
以前読んだ『映画を早送りで観る人たち』にも、『誤読する自由』みたいなことが書かれていて、それが私の拠り所になっているような気がします(笑)。
とてもおもしろかったです。
やっぱり横山さんの小説は重みがあっていいですね。
コメント