浦上満さんの『北斎漫画入門』を読みました。
浦上さんの本は初めてです。
先日行った『HOKUSAI-ぜんぶ、北斎のしわざでした。展 に行ってきました』のミュージアムショップで、うちの息子がこの本を購入しました。
一通り読み終えたらしく「おもしろかったから読んで」と言われたんですよ。
…でも、いつも Kindle 読み上げや Audible で読んでいるので、リアル本を読むのがきついな…と思ってしまいました。
かといって、せっかく息子がおすすめしてくれた本です、読みたい。
Kindle で検索したところ、Kindle 版も発売していましたし、ちょうど『ポイント50% 還元セール』をやっていたので、買ってしまいました。
息子に伝えたら呆れられてしまいましたけど。
本の内容からは妥当かもしれないんですが、表紙や最初の数ページだけでなく、中の方にある絵についてもカラーで記載されていました。
新書でここまでカラーが使われている本が初めてな(ような気がする)ので、少し驚きました。
最近の新書はそうなんですかね?
今日の漫画でもたくさん用いられているさまざまな手法が、葛飾北斎の手によってすでに編み出されているということに、やはりに驚きました。
例えば集中線みたいなもの、後光が指している描写、丸や三角などだけで書かれた絵みたいなものなど、見たことあるものがたくさんあります。
今の漫画家さんとしてでも十分通用するような鮮やかな絵ですし、見ていると動き出しそうな躍動感あふれるものが多くて、とてもおもしろかったです。
あとは、『北斎漫画』は版画として摺られているものなんですが、いつ摺られたかによって記載が違っていたりすることがあるようです。
まぁ、最近の本でも、それが第何刷なのかによって記載が多少違ったりもしますよね。
葛飾北斎が源氏物語の絵を描いているページが例として挙げられていました。
そこで、六条御息所が妖怪のような姿になって化けて出ている(生霊)ところの描写で、その版によって、そこの人物の名前が『葵』と記載されているものがあるんです。
シーン的に、この生霊が葵の上であるはずがないです。
だって呪われているのが葵の上ですから。
(源氏物語なんて高校の古典以来ですから、正直ちょっとおぼろげですが)
北斎も最初にそういう間違いをして、後からミスに気づいたから作り直した、ということなんでしょうかね。
あとは、版画ですから彫ったものの状態にもよるんでしょうけど、最初の方に刷ったものは女性の顔がきちんと描かれていて、後の版になってくると同じ女性の顔が消えてしまって輪郭しかない状態になってしまっています。
なるほど、摺りすぎて目鼻がなくなってしまったようです。
版画だからそういうこともあるんですね。
今の時代だったら、それが第何版で年代がいつなのか、みたいなことはちゃんと管理されてると思います。
でも、江戸時代の当時はそんな管理なんてされていなかったわけです。
その同じ巻の複数の所有者が、どちらが先の版でどちらが後の版なのか議論を戦わせる、みたいなこともあったようで。
自分の持っていたものの方が古い、もしくは正しいと思っていたのに、他の版の本が出てきて、それが覆るっていうことがよくあったみたいです。
そういう話もおもしろかったです。
同じ研究家の人たちでも、自分が持っているものと他人が持っているものを比較していない場合は、自分の方が『間違って』いたということに気づけなくて…ということもあるようでした。
著者の浦上さんは、『北斎漫画』のコレクターとして世界一の所有数らしいので、同じ『北斎漫画』の巻数のものでも、いつ摺られたかによって記載が異なるということも分かっていらっしゃったようでした。
やっぱり、こういうコレクターの方が貴重なものを集めて研究してくれているおかげで、こういうおもしろいお話を知ることができるんですね。
浦上さんは、先日行った北斎展も監修として入られていたようで、さらに先日見た『おーい、応為』でもスタッフロールにお名前がありました。
(息子が見つけていました)
普段版画で作られた本なんてまったく関わることがない生活をしているので、普通の本との違いなどを知ることができて、とてもおもしろかったです。
結局息子から借りた本は読みませんでしたが(笑)、読んで良かったと思いました。




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