かげはら史帆さんの『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』を読みました。
かげはらさんの小説は初めてです。
この小説は、先日見に行った映画『ベートーヴェン捏造』の原作となった作品です。
先日映画を見たばかりなので、内容がビジュアルと共にすんなりと入ってくる感じでした。
とはいえ、映画と違うところはたくさんありました。
まず、映画だと舞台が中学校で、忘れ物取りに行った生徒が音楽の先生と話し込む、という導入でした。
どうやらそれは完全に映画のオリジナルだったみたいです。
この本は、元々著者のかげはらさんが論文として書いていたものを『読み物』としてアレンジした、という成り立ちのようです。
映画を見ているときも「淡々としていて、なんとなく論文っぽいな」とは思ったんですが、なるほどやはりそうだったのか、という感じでした。
流れとしては、ほとんど映画と同じでした。
映画が原作に忠実だった、ということですね。
端々で使われている言葉なども、セリフとして映画で引用されていたものが多く、本書を読んでいて「あ、これはここのシーンのセリフ・モノローグだったな」と思い出しながら読んでいました。
ただ、やっぱり時間的な問題なのか、「本書には出てきたけど映画には出てこなかった』というところもありました。
シンドラーが自分自身でピアニストを育てようと試みた、というくだりについては、多分映画にはなかったんじゃないかな…と思いました。
(見落としただけかも知れませんが)
シンドラー自身もやっぱりいろんなことを試して、その結果文筆業で一応の『偉業』的なものを成し遂げた、という人だったんだな、と思いました。
映画にせよ今回の本にせよ、シンドラーは本当に、ある意味『純粋』で女っ気もなく、ただただ「ベートーヴェンをどのように世間に知らしめていくか」という使命を(勝手に)帯びたプロデューサーとして日々生きていたんだな、と思いました。
「最後に生き残ったやつが勝つ」的なのは、なんとなくジャンプなんかを彷彿とさせますね。
けどまあ、当時暮らしていた人にとっては、そこから100年後200年後の世界で、ありとあらゆるものがデジタル化されてアクセスも容易になって、大規模データとして扱うことができて、それを解析する人力もリソースもある、という時代が訪れるなんて…まぁ思っても見なかっただろうな、と。
こんな世の中になるって分かってるんだったら、捏造なんて絶対しないですよねー。
捏造した分だけ、バレて笑われちゃいますからね…。
でも、当時暮らしていたシンドラーにとっては、もうベートーヴェンの『素晴らしさ』だけを後世に伝える、そのことだけが全て、と盲目的になるのも…わかりますね。
要するに、他に情熱を傾けられることがあまりないんでしょうね。
先日見た『おーい、応為』でもちょっとそう思いました。
しかし、その今まで真実と信じられていたものが嘘だったということが発覚して、その界隈の人たちの顔が真っ青になっただろうな、と思うと「大変だな…」と同情を禁じえません…。
映画のときも思いましたが、そもそも昔の伝記なんてものは、ほんの少ししか『証拠』がないんですし、このシンドラーみたいなことを他の人がやっていないという証拠も一切ないわけで。
ゴッホが死んだシチュエーションだって詳細はわかってないわけですし。
そういうのも含めて、全部ミステリーぽい感じで興味はかき立てられますけどね。
まぁ、『最初に発表しちゃったモン勝ち』っていうのはあるだろうなとは思います。
あとがきに、わざと今現在の俗語表現を使った状態で、過去に存在していたベートーヴェンやシンドラーなどを現代に召喚ような感じで書いた、とありました。
コミカルな感じはわざとだったということですね。
フランクで読みやすかったです。
突き詰めていけば、この時の彼らの動きだって本当のところはどうだったのかなんて分からないわけで。
ひょっとしたら、本当にこんな感じでフランクだったかもしれないですもんね。
そう考えると…何もかも「本当なのか…?」と思ってしまいます。
例えば、野口英世が結構ダメな人だったとか、宮沢賢治にも変な部分があったとか、そういうことを知ったときになんだかちょっと悲しい気持ちになることはあるわけです。
そういう思いを他の人たちがしないように、そしてそんな風にベートーヴェンが思われないように、シンドラーはがんばったってことですかね…。
まぁ、それは本当にすごいことだなと思いました。
いいか悪いか別として。
いや、史実的には本当に悪いんですけどね。
そもそも、音楽室には必ず飾ってあるあのベートーヴェンの人生について、こんな捏造事件があったという事実を知らなかったので(ちょっと先に映画で見ちゃいましたけど)、本当に驚きでした。
今回、映画とこの本を読んで知ることができたのはよかったなと思います。




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