アルジャーノンに花束を

読んだ本

ダニエルキイスさんの『アルジャーノンに花束を』を読みました。

『アルジャーノンに花束を』は20代の頃に一度読みました。
その後、同じダニエルキイスさんの『24人のビリー・ミリガン』も読みました。
でも、もう20年くらい前ですからね…。

今回は、息子がなぜか「『アルジャーノンに花束を』っていう本が読みたい」と言ってきまして。
どうして急にそんなことを言いだしたかは不明です。
そして、こうやって買ったけど、彼は読んでないです。

以前読んだときは1回目のドラマ(ユースケ・サンタマリアさん主演)が放送されたあとだったと思いますが、ドラマは見ていませんでした。
その後にもう1回ドラマ化されていたんですね。
そっちは主演が山P。
こっちも見てなかったなぁ。

とはいえ、内容は結構覚えていたので、読み進めるとどんどんつらくなっていきます。
これからどういう経過を経て、最終的にどうなるかがもうわかっているのでね…。
はじめのたどたどしすぎる文体がどんどん成長していって、ピークのときにはもう何なのかまったくわからないような難しい言葉が羅列されていて。
でもそれも、少しずつまた『退化』していって、最後は結局元通りというか、元の水準まで戻ってしまいます。

人の知能を人工的に上げるなんていう手術はファンタジーなんでしょうけど(…そうですよね…?)、もしそれが本当にあったとして、チャーリーと同じような曲線を辿るのがわかっているとしたら、その手術を受けたいという人はいるんでしょうか?
改めて読んで、やっぱり残酷だなと思いました。
一度与えたものを取り上げるようなもの、と思ってしまったからなんだと思います。
訳者のあとがきには「感動の涙」とあったんですが、感動というよりはやっぱり残酷というか、絶望というか、そっちの気持ちのほうが強かったです。
知能が低いときには見えていなくてそれで幸せでいられたのに、知能が上がるにつれてどんどん見えてきてしまう。
自分が今までいかにバカにされていたか、でも、それと同時にいかに愛され守られてきたかということがどんどん見えてきてしまいます。
複雑な気持ちですよね…。
知能が低かったときのほうが、自分は周りに必要とされていたのかもしれない、と思ってしまう。
つらかっただろうな、と思います。

知能が後退していく直前に、自分の終の棲家の候補をちゃんと見学して、そこに入る算段をつけるっていうのは、すごい決意です。
今でいう『終活』のようなことでしょうか。
普通の人が一生かかってやるようなことを、僅かな期間でぎゅっと凝縮して経験してしまったチャーリー。
彼は幸せだったんでしょうか。
難しいです。

これが、普通の健常の人がブーストされていって、ある時間ものすごく聡明になって、またもとに戻るというのであれば、ここまでの悲劇ではないでしょうね。
出発点が精神遅滞だったから、もう振れ幅がひどすぎて途中で二重人格みたいな感じになるっていうのも、感覚としてうなづけました。

一番最後の「どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」っていう文章が、彼が取り戻したものを表しているんだろうなと思います。

あとがきに、チャーリーの文章は山下清の日記を参考にしたと書かれていました。
なるほど、確かにチャーリーと山下清はなんだかダブるような気がします。

生誕100年 山下清展 に行ってきました
SOMPO 美術館で開催中の『生誕100年 山下清展』に行ってきました。ねんがんの山下清展です。前回のマティス展からあまり間を置かずに行けました。いやー、良かったです!やっぱり『長岡の花火』がすごかったですね!背景の黒い部分は丁寧に切られた...

英文でああいう文章ってどういう書かれ方をしているのか興味ありますが、『Flowers for Algernon』は Kindle Unlimited とかにないんですよね…。
いや、買ってもいいんですけどね…。
読み終える自信がないというか…。
まぁ、機会があったら見てみたいなとは思います。

[AD]アルジャーノンに花束を
さちこ

40代2児の母。2011年からフリーランスやってます。東京の東の方在住。
第一子が発達グレー男児で、彼が将来彼の妹に迷惑かけずに生きていけるよう、日々奮闘中です。

さちこをフォローする
読んだ本
さちこをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました