中山七里さんの『さよならドビュッシー』を読みました。
中山さんの小説は『ラスプーチンの庭』以来です。
ようやく読めた中山さんのデビュー作。
音楽関係の仕事してたの? というくらい、演奏シーンとかは迫力がありました。
音の表現もすごく染み込んでくる感じがあり、いつもながらに中山さんの引き出しの多さには驚いてしまいます。
途中で火事のシーンがあります。
壮絶な場面でした。
その後のリハビリもとてもつらそうで、読んでいてちょっとしんどかったです。
ちょうど同じ頃、私もホットクックの蒸気孔にうっかり腕をかざしちゃって、1円玉より小さいですがやけどしちゃったんですね。
それがめちゃくちゃ痛痒くて。変な汁出るし。
毎日絆創膏変えながら、「これが全身だったんだな…」と気が遠くなるような思いを感じていました。
あとは、この間読んだ『涼宮ハルヒの直観』があったので、京アニの事件のことを思いました。
ちなみに、私も高3のとき盲腸で入院して、尿管カテーテルをしてもらったことがあります。
お見舞いにきてくれた友人に「自分の意志とは関係なくおしっこが出る。すごくおもしろい。楽でいい」と話したのを覚えています。
そういう羞恥心はどこかにおいてきているタイプだった、ということですね…。
『双子』がでてきたら入れ替わりを疑え、というミステリーのセオリーがありますが、『双子』じゃないので見落としていました。
ひょっとして…と気づいたのは、かなり後半になってから。
だからなるほど、あそこには違和感があったのか、という数々が押し寄せてきました。
自分ではない別の人の役割を演じることを強いられてしまうのは、とてもつらく苦しいことだったろうと思います。
『お母さん』がせめてもうちょっと話を聞いてくれればよかったのに。
叔父さんが言っていた『直情的な感じの性格』っていうのは、ここに出ちゃってたんだなって、不幸だなって思いました。
そもそも、ほんとうの意味での彼女に入れ替わりの意思がなかったにも関わらず、顔はにているけど自分じゃない他の人に変えられてしまったんだから、その絶望は想像を絶するわ…。
上にも書いた盲腸で入院したとき、私はたった1週間でしたがしばらく走れる気がしませんでした(引退直後でしたが、陸上部でした)。
ものすごい大手術と壮絶なリハビリを経て難しい曲を弾けるようになったとき、すごく嬉しかっただろうな。
それが、彼女の『犯行』のきっかけの一つになってしまったのは、とても残念です。
岬さんの思慮深さにも感嘆しました。
呼び方、なるほどねー…。
頭が良くてピアノが上手くて思慮深くて。
素敵じゃないですか!
ちょっとお父さんとは反りが合わないみたいですが、まぁ仕方ないですよね。
あの、能面検事じゃ…ねぇ。
『御子柴シリーズ』も『能面検事シリーズ』も読んでいますが、
解説を読んで、いろんなことがわかりました。
中山さんの『要介護探偵』というシリーズは知っていましたが、まさかこのおじいちゃんがそうだったとは。
この『さよならドビュッシー』がデビュー作であるにも関わらず、ここからすごく広げていくあたりが、小説家になるべくしてなったんだろうな、と思わされます。
ピアニストの世界は大変だなとつくづく思いました。
それから、せっかくコンクールで勝てたけど、しばらくはピアノから離れなきゃいけないということ。
そこからの『さよならドビュッシー』か。
なるほど、そういう意味だったんですね。
そして、表紙。
波の中のオタマジャクシ、これはルシアの両親を奪っていったスマトラの津波でしょうか。
でも、中のオタマジャクシは、彼女にとってもかけがえのない『音楽』ですかね。
そこに降り注ぐ音符の数々と、それらを紡いでいる二人の女の子。
泣けてきました。
不幸な事故がいくつも重なって、みんなの心が傷ついて、体も傷ついた女の子にいつの間にかつらいことを強いてしまっていて。
それがまた不幸な『事件』を起こしてしまった。
悲しいです。
『岬洋介シリーズ』はこれを皮切りにまだまだたくさん出ていますので、一つずつ読んでいきたいです。
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