山田風太郎さんの『人間臨終図巻 4』を読みました。
先日の続刊、この巻で最終です。
今回は77歳~100歳台で亡くなった方々です。
121歳が最年長? ですが、若干の疑惑もあるようです。
またまた、私の印象に残った方々を書いておきます。
- 横溝正史
この本の作者の山田風太郎さんとの交流があったみたいで、その時のエピソードが書かれています。
亡くなったのが1981年、ものすごく昔の人だと思っていたのですが、そんなことなかったんですね。
- 土井晩翠
仙台出身の作詞家の方です。
私の卒業した小学校の校歌の作詞も土井晩翠さんでした。
『晩翠草堂前』というバス停もありまして、仙台市民にとっては身近な存在といっても過言ではないと思います。
どうやって亡くなったかは知らなかったです。
- ゴヤ
原田マハさんのペンネームの由来である『裸のマハ』『着衣のマハ』を描いた人です。
その他、ちょっと怖い絵が多いんですよね。
なかなかお盛んな方だったようですが、やはりというか梅毒…。
そして、20人も子供がいたのに、かなり残念な感じになってしまいました。
- 板垣退助
「板垣死すとも自由は死せず」というセリフには覚えがあったので、そのときに亡くなったのかと思っていたんですが、そうではなかったみたい。
著者から『老残』とまで言われるくらいひどかったの…?
晩年はお金がなくかなり貧しい生活をされていたようです。
- マチス
マティス展に行って彼の作品にいろいろ触れてきたので、なんとなく親近感を覚えます。
没年が1954年、写真などもたくさん飾ってあり、晩年の作品である礼拝堂なども動画で見ました。
本文を読みながらその時の映像がを思い出していました。
- ヴェルディ
映画『バトルロワイヤル』でおなじみになった曲『レクイエム』の作者。
「鎮魂歌(レクイエム)ってこんなに激しいの…?」といつも思っていました。
鎮まらずに生き返っちゃいそうです。
代表曲のいくつかは高齢になってからのものだったようです。
すごいですね。
- 志賀直哉
『暗夜行路』などの作者。
Wikipedia には「遺骨は濱田庄司制作の骨壺に納められ青山霊園に葬られたが、1980年(昭和55年)に盗難に遭って行方不明となっている」とあったんですが、本項ではその顛末が書かれています。
これは悲しいですね。
- チャプリン
喜劇王チャップリンのことです。
高校の時の英語の教科書に、彼の話があったような気がします。
「heart attack」が甘酸っぱい意味ではなく『心臓発作』だと知ったのはその時だったような気が。
(彼が心臓発作だったのではなく、ライムライトの主人公が心臓発作でなくなるんですよね、確か)
本項では「遺体は棺ごと盗まれた」と書かれていたんですが(またかよ)、Wikipedia ではその犯人が捕まっていることが書かれていました。
よかったよかった。
- 葛飾北斎
彼の半生は漫画の伝記を読んでいたので知っています。
海外ではあんなに有名で飛ぶように売れていたのに、彼の懐にはまったく入ってこなかったんですよね。
こんなに有名になったということを彼に伝える術があればいいんですけどねー…。
まぁ、昔の画家の人達は多かれ少なかれそういうものですかね。
- ナイチンゲール
幼い頃に彼女の伝記の漫画を読んでいたので、どんな功績の人か知っていたんですが、統計学にも造詣が深かったというのを最近知りました。
(私の仕事がちょっと統計学に関することなので)
大変な偉業を成し遂げた方ですが、意外に長生きされたんですね。
ちなみに『クリミアの天使』だからロシアとかの方かと思っていましたが、イギリスの方でした。
伝記の漫画読んでた割に知らなかったじゃん。
93歳が0人となっているんですが、それが時代を感じさせますね。
今の時代でしたら、Wikipedia なんかで調べれば比較的容易に探せますが、これが連載されたのが1978~1987年、インターネットなんてない時期ですからね。
調査の苦労が偲ばれます。
こういう感じの本って、他にあるんですかね?
『ビブリア古書堂』の扉子ちゃんが「異色の内容」と言っていたので、そんなにないものだと思いますが。
4巻合わせて923人分の臨終の様、なかなかの圧巻でございました。
また、時代関係なくなくなった歳でまとめるというのもおもしろいですね。
何か傾向があるのでは、と勘ぐってしまいそうです。
にしても、知らない人がたくさんいすぎて、自分の常識? のなさがちょっと悲しかったです。
とてもおもしろかったです。
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